あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます.今年もよろしくお願いします.毎年テーマを決めているのですが,2006年はいろいろ考えた結果「出世」ということにしました.まあこれは差し迫ったものがないから好きなことを言ってるだけです.

ここのところ,人生は3ヶ年計画の積み重ねでできているような気がしている.0〜3歳が無意識の時代,3〜6が三つ子の魂の時代,6〜9・9〜12はそれぞれ小学校低学年・高学年,12〜15・15〜18は中高男子時代,18〜21が暇暇大学生時代,21〜24が研究初心者時代,そして24〜27が博士取得の試練の時代という感じで割ときれいな3年周期になっている.で,2006年は27〜30の第10次3ヶ年計画の2年目にあたるのだけど.第10次がそれまでと大きく異なるのは,外的な要因が自分の行動を律しなくなったこと.うまく書けないけど,義務として何かをすること(それが自分が進んで選び取ったものであったとしても)が要求されなくなって,どこにでも行けるけどどこに行ったらいいのかよくわからない状態,まあわからないのは当たり前で,誰の言うことも聞く必要がないから方向を指し示してくれる人もいないわけで,そうするとわかりようがない.名づけて「手持ちぶさた時代」.第9次までの27年間,義務を課されるという形で何かから保護されてきたのだなあとしみじみ思う.それとともに,第11次の而立時代に向けて,巨大なる慣性からどうやって逃れるかが課題.七転八倒せざるを得ないがゆえにパフォーマンスは出なさそうな予感でいっぱいなのだけど,その3年間を黙って見守ってくれる人がどれぐらいいるのかが心配で,おかげで出世とか口走っております.敬愛するウチダ先生は「他者であるところの未来の自分」の視点を織り込んだうえで現状を見よとおっしゃっていると勝手に思っているのだが,第12次や第13次,はたまた第15次ぐらいの自分が,「あーあれは大事だったかもなあ」と思えるような言行を淡々としていければそれでいいのかな,と京都の地でうだうだと考えていた次第.