驚異の設定・ライフログ小説「エクサバイト」

2ヶ月ぐらい前に読んだ本ですが、意外と(?)話題になってないようなので取り上げてみるのが服部真澄エクサバイト」。タイトルと派手な装丁に惹かれて何気なく手に取ったのですが、読んでびっくり。何より、その設定に。

2025年。記録媒体の小型化が飛躍的に進み、“ユニット”を身につける人々も増えてきている。“ユニット”とは超小型のカメラにメモリを搭載したツールで、それによって人間は一生のうちに見聞きするすべての情報を小さなディスクに収められてしまう、そんな時代になっていた。

ナカジは、時代の潮流に真っ先に乗り、飛ぶ鳥を落とす勢いの成功を収めている映像プロデューサー。美術評論家・鹿島と組んで製作した美術番組シリーズは、日本のみならず世界中で放映されるドル箱コンテンツだった。 そんなナカジに『エクサバイト商會』のローレン・リナ・バーグ会長から事業提携話がもちかけられる。『エクサバイト商會』は、人々が装着していたユニットを死後に買い上げ、それらのデータを大量に集めて再構成することで、いわば動画の「世界史事典」の制作を目指すという。まさに「記録」を巡る壮大なビジネスだ。

だが、この世界的ビジネスが順調な滑り出しを見せた途端、ユニットの独占メーカーである米「グラフィコム」社から待ったがかかってしまう……。

エクサバイト 服部 真澄:文庫 | KADOKAWA

これってライフログそのものではないですか。作中にその言葉は一度も出てこないのですが、描かれているのはライフロガーがそこらじゅうにいる社会。しかもビジネスモデルまであったりする。

設定で感心するのは、技術的にせよ社会的にせよ無理がなさそうなところ。もちろん未来の話なので現存しない技術を下敷きにしているわけですが、メモリの容量がギガ・テラ・ペタを超えてエクサになって埋め込み可能になっているとか、そんなにおかしなことではないだろうし、カメラの方も小さくなるのは当然として、身につけることで起こるブレをどうするとか、ある程度は何とかなっているような気がする。ライフログでつくられる膨大なアーカイブの検索技術も、いまと比べて全く進歩しないということは考えにくい。

一方で、そもそもライフログをみんながやっているような世界が来るのか、という疑問はありつつも、例えば10年前と比べたら、社会的にそれを許容する空気というのは確実にある。みんなで飲み会に行ったら出てくる食べ物を一品一品写真にとってアップする人がいるとか。15年後と言わず、もっと早くに来ていてもおかしくない。

で、一億総ライフログ社会となると、いろんな問題が出てきそうですが、それらの問題が先取りして考えられているのが好印象。情報の信憑性の話を美術品の真贋に絡めるくだりは、あなたはグーグルやウィキペディアでいいのか?と問われているようで、実はSFのかたちを借りた文明批評なのかもしれないなあと思ったり(SFはすべからくそうなのかもしれませんが)。余談ですが、情報が持つパワーとそのあやふやさ、みたいなテーマについては「愛と幻想のファシズム」の後半の展開をちょっと思い出して、1987年にそれを書いた村上龍にも感心します。

小説そのものの出来は評価が分かれるところ。情報に携わる人間からすると最初に思いつきそうなことがヤマになっていたり、最後の方の展開が主題と関係あるのかよくわからなかったり。まあこれほどの巨大な設定を使いこなすのは難しいなあと。逆に言えばこの設定の上で考えられることはまだまだあるはずで、続編とか他の人が書くとか、そういう展開を期待しています。

ニューロマンサー」「スノウ・クラッシュ」などの仮想世界系、「電脳コイル」の拡張現実系に引き続き、ライフログ小説まで出てきて、「Metaverse Roadmap」でいうところのあと1つ(ミラーワールド)はどのように表現されるのか、興味は尽きないところです。

エクサバイト

エクサバイト

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