ルーチンのある生活

昼まえから本郷入り.ビジネスモデルをつくるミーティングというものを定期的にやっている.まあ何というか泥臭い作業なのだが,「ビジネスモデルをつくる」と口に出して見るととてもハイカラに聞こえる.こういう言葉を使うと内容のよしあしに関する判断がすっかり抜け落ちてしまうのがすごい.似たような機能を持つ言葉に「研究する」というものがある...ミーティングのあとは大量の書類作り.あまりに大量すぎて自分1人の手に負えず,多数のみなさまの手をお借りしてやっと目処がついた感じ.しかしながら目処がついた感じでしかないので神保町に戻って自席で作業の続き.WordとExcelの偉大さに頭がくらくらする.くらくらしながら,昨今の食生活がよろしくないことを思い出し,一挙に問題解決を図ろうと浜町のとある定食屋さんに向かう.お店が22時に閉まるので21時半に研究所を出る.たらふく野菜を摂取して,家に帰り,sakusakuが夜中0時に始まるのでそれまで仕事したり居眠りしたり.で,起きて無事にsakusakuを見て仕事を再開していまに至る.と,こう書いていると,最近は「○○が何時にあるから××する」という予定の立てかたをまったくしてなかったことに気づく.何事にも拘束されないというと聞こえはよいけど,要するに本能の赴くままその場その場を生きていく動物みたいなものだ.そうするとネットとかPSXみたいなものは野生化を促進するテクノロジーであるとは言えまいか.健康で文化的な最低限度の生活を送るためには,その生活の中にある程度の物理的な制約を組み込んでいかなければならないのではないかと思うようになってきた.ルーチンのある文化的な生活,それをドラスティックに実現する方法が結婚だったり子供だったりするのかもねえ,と結論は飛びすぎてる(しひどい言いぐさ)けどそんな気がしている.